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第一章 胎動編(008)

ドヨニリバー

カフチの男たちは 高台からドヨニリバーを見下ろしていた。

「こりゃぁ、予想していた以上の大洪水じゃないか!」
「なんてことだ、ひどすぎる…!」
誰の目にも その光景は絶望的に映っていた。

「ロープは無いのか!?」
セエイがサモリに向かって叫んだ。
「ロープ? どうするんだ!?」
「出来るだけ長いのがいい!」
「それを どうしようというんだ? …まさか!」
「そうだ。体に巻きつけて川に入って溺れている人を助ける!」
「こんな濁流だぞ!そんなの どう考えても無茶だ!」
「このまま溺れている人々を黙って見過ごせと言うのか!?」
「しかしセエイ! この激流の中、川に入るのは 危険だ!」
「なら サモリ! 俺たちは 何のために ここまで来たんだ!?
 あんたは なぜ 俺たちを ここまで連れてきたんだっ!?」
セエイは市長サモリに食って掛かった。

かつて、サモリの温厚で面倒見のいい人柄は誰にも好かれていた。
もちろんセエイも 幼い頃から サモリのことが好きだった。
セエイにとってのサモリは 軍に入隊のため家を出た二人の兄の代りのような存在だった。
しかし…、数年前に その人格を大勢の人から認められ市長に選ばれたものの
このような災害時を含め いざという時に つい弱気な態度を取るサモリは
だんだんとカフチの人々からの信頼を失ってしまっていた。

この場に及んでも 逃げ腰の態度を取るサモリに対して
「このクソ馬鹿野郎市長ー!」
セエイは ついに罵声を浴びせてしまった。

「なぁセエイ、そんな臆病な市長なんかほっとけって。」
そう言ってきたのは、昔 セエイのクラスメートだったギルだ。
「ちょうど、この先の建築現場に いつも俺は仕事で来てるんだが
 そこに工事用のロープが置いてある。そいつを使おうぜ!」
「ギル、長いのもあるか?」
「おう!長くて丈夫なのが たくさんあるぞ!」
「よし! すぐ行こう!!」

セエイとギルの後を、サモリを横目に他の男たちも追いかける。
「市長さん、川に入るのが嫌だったら入らなくてもいいぞ!」
「あんたは 岸で 俺たちのロープの先っぽを結びつけるだけでいいからな!」

一人、サモリは黙って、遠ざかる彼らの後姿を見つめていた。
そして 暫くして 濁流が流れる川の水面に近づき
ロープの縛れそうな頑丈な木々や鉄柱などを探してまわった。
今 居る場所も、
洪水の前は 川の堤防に隔たれた家々が立ち並んでいた場所から少し高い所にある。
ドヨニリバーの美しい川沿いに栄えたノイタウンを 濁流が飲み込んでいったのだ。
サモリの目前、川幅が更に長くなった中央付近を バラバラになった家屋の残骸が流れ通る。
屋根か壁か床か天井か原型を無くした材木に必死にしがみつく家族たち。
川の流れに抵抗することも出来ない人々の 低い叫び声が サモリの耳にも届いていた。
「助けて~~~」
濁流の音に打ち消されそうな か細い声…。

やがてカフチの男たちが それぞれロープを腰に巻きつけながら 一人 また一人と戻って来た。
「なんとか、なんとか、助けてやるからなー!」
「おーい! みんながんばれー!!」
「一人ずつ川に入るからな! 市長!ロープを取れないようにちゃんと結んでくれよ!」
サモリは 先ほど見つけていた木や鉄柱に 次々とロープの先端を巻きつけていった。
そうこうしているうちに さっきの流れていた家族の姿は見えなくなってしまっていた。
この速い川の流れでは 到底 間に合うはずもない。
「ちっくしょー! 」
「グズグズするなー!急がないと!!」

誰もが焦りの色を隠せないところへ…
「もっと下流へ行くべきじゃないか!? ここは流れが速いから ほんとに危険だぞ!」
どこまでも安全を第一に意見するサモリの叫びに
「下流まで 家の残骸にしがみついた状態でもつと思っているのか!?」
と、冷ややかな視線を向けてセエイが叫ぶ。
そんなセエイの目を まっすぐに見つめながら
「とにかく、さっきの家族も心配だ…。」
サモリが静かに言った。
その言葉に セエイは半ば冷静さを取り戻したかのように答えた。
「それは そうだな…。じゃ、半数の者たちは下流まで行って救助するとしようか。」
場を仕切るセエイの決断に サモリは僅かながらではあるが ホッとしていた。
実際、この激流の川に入った者たちが 助かる保証は全く無いといってもいいだろう。
それほどに想像を遥かに上回る大洪水なのだ。
下流での救助なら、相当な無茶をしない限り二次災害の危険性は軽減できると確信していた。
だが、その人数は 半分にすぎない。
早速、半数の男たち14名は 高台に停めてある車に分乗して下流方面へと向かった。

そして、この場所に残ったメンバー全員のロープが 全て結び付けられた。
「今度、川上から流れてきた人影を発見したら、瞬時に飛び込むぞ!
 みんな、覚悟はいいな!?」
「おぅ、了解!」
「俺たち 昔から泳ぎは達者だからな!」
「絶対、一人でも多く助けてみせるさ!」
サモリの心配をよそに 男たちの士気は高まる。

「来たー!」
ギルが上流から流れ来る人影らしきものを発見して大声で叫んだ。
「間違いなく人だ!」
「生きているのか?」
「ああ、こっちに気がついて 手を振っているぞ!」
「よーし!全員 飛び込め! 行くぞー!!」
セエイたちは 一斉に飛び込んで濁流の勢いに流されながらも
ヨドニリバーの中央へ向けて泳ぎ始めた。
ピンと張ったロープが川の流れによって斜めになる。
それでも 出来る限り水平を保ちながら中央付近へと泳ぎ着いた。
幼い少年とその母親とが家の支柱と思われる木にしがみついていた。
まず、セエイが少年を抱きかかえ岸に向かって泳ぎ始めた。
続いて、ギルが母親に近づこうとした…その時、
水深に潜んでいた家屋の残骸の塊が 突如浮き上がって
ギルのロープを引きちぎりながら空中へ舞い上がり そして再び水面へと落下した。

「ギルー!!」
少年を小脇に抱えながら、サモリのいる場所へ辿り着いたセエイが叫んだ時には
ギルの姿も 母親の姿も、そして後方にいた残りのメンバーの姿も既に無かった。

「サモリ、この子を頼む!」
「おい待て!セエイ、 君はどうするつもりだ!?」
「仲間を救助する!」
「ば、馬鹿な! もう無理だ!!行くな!」
「彼らは…、俺たちの… カフチの… みんな仲間なんだ!助けないと!!」
そう叫びながら セエイは再び川へ飛び込んだが、信じられない力で引き戻された。

驚いて見上げれば、そこには魚河岸の大将エガラヒが立っていた。
「セエイ… 命を粗末にするな。
 まったく今日は いつもの お前らしくもない。冷静さを取り戻せ!」
「エ、エガラヒ…! ぶ、無事だったんですか!?」
「ああ、運良くと言うかな…
 実は今日は俺の誕生日だから 前から外食しようと決めていたんだ。
 それで妻と娘に魚河岸まで迎えに来てもらった。
 しかし、このタイフーンだ。
 結局、魚河岸の店で誕生日を祝ってもらうことになった。
 こっちが危険という情報を聞いて 妻と娘は魚河岸に残し、
 俺だけ様子を見に帰ってきたというわけだ。
 …残念ながら 我が家は流されたみたいだがな。」

エガラヒと その娘マアエの無事を確認出来たセエイ。
実は今日、これほどまでにセエイが冷静さを失ったのは
この大洪水に マアエまでもが流されたと思い込んだのが最大の理由だった。
セエイが想うマアエは無事生きている。
だが… その想いが強すぎたために起きてしまった現実…。

「助けたのは この少年 ただ一人…。そのために払った犠牲は あまりにも大きすぎる…。
 サモリのいうことは間違いではなかった…。俺は なんて取り返しのつかないことを…。」

仲間はもちろん、少年の母親をも助けることが出来なかったセエイは 嘆き呟く。
そして、少年にニコニコと笑顔で語りながら、その濡れた身体を丁寧に拭き続けるサモリ。
そんな彼に反抗し 裏切ってしまったことを、もう今更ながらではあるが…深く恥じるのだった。
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