美と感動の飛騨にて

小学校卒業と同時に岐阜県吉城郡古川町(現=飛騨市)の伯母宅にひきとられたという話を
昨年末に創刊した「はりまなだぶんがく」に書きました。
あの自分史を書いたことが きっかけで いろいろなことを思い出したので
飛騨古川の中学入学当時のことやら 思い出話を書いてみようと思います。


白壁の土蔵作りの美しい町並。
町を流れる宮川の岸から、
穂高・槍・乗鞍などの勇壮な北アルプスを見晴らす叙情あふれる風景。
飛騨といえば高山が有名ですが、古川も飛騨を代表する素晴しい町であります。

入学したのは古川中学校。
「髪切って来いナ」…案の定、先生からの言葉。
当時の飛騨地方の中学校は、男子は全員丸刈が校則でした。

野球部に入部希望だった僕は「野球するなら どっちにしろ丸坊主、別にしかたないか…」
僕は丸刈にすると、交通事故の怪我の跡の10円ハゲが完全にわかってしまいます。
多少の抵抗はあったものの、
翌日からご自慢の(?)長髪をバサッと切り にこやかに登校しました。

結局、同級生達に10円ハゲがばれてしまいました。
そのことで馬鹿にされたり、いじめられたりはしまいかと心配でしたが、
しかし彼らは それが事故で出来た傷だと知るなり、
今 僕が元気でいることをまるで自分のことのように喜んでくれたのでした。

そんな同級生たちの、
飛騨の透き通ったきれいな空気みたいに澄んだ瞳を今でも忘れることはありません。

しかし、冬のスキー授業での彼らは鬼でした。
本格的にスキーを滑るのが初めてであった僕を 徹底的にしごいたのです。
直滑降がやっとで スキー板を履いてリフトに乗るのも怖い僕が
他の生徒たちと同じように出来るわけがありません。

しごきは更にエスカレートして
今度は雪の窪みを台にしてジャンプしてみろと要求してきました。
他のやつら全員が出来るのに 僕だけが出来ないのもしゃくだったので
勇気を出して飛んでみることに。

なんと、生まれながらの天才(自称)の僕は
一か八か なんとか良いカタチで飛べました。(記憶が曖昧)
が…しかし、その後も 容赦なしの猛特訓は続いたのでした。(こいつら悪魔や~)

野球だったら 逆に思う存分 暴れてやると心に秘めていましたが、
実際 飛騨の冬は長かったのです。
雪は なかなか融けることなくグランドは使えません。
そして春先まで、基礎体力をつけるため ずっとスキー練習がメインの野球部。
雪国の悪夢は まだまだ続くのでした。

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南国高知から転校してきた僕にとって、そんな雪国の冬の忘れられない思い出があります。

飛騨の初冬。その日は野球部の練習も早く終わり、
帰りに同級生の洞口君の家へ遊びに行きました。
いわゆる道草です。

もう中学生だというのに プロレスごっことかして楽しく遊んでいたら
時間の過ぎるのは あっという間でした。
そろそろ帰るかな…。

洞口君のお母さんに「雪降るかも知れんね…気をつけてお帰りナ…」と
優しい言葉で見送られました。
でも、空は雪など降る様子もないほど晴れています。
「天気予報で言ってたのかな?」

帰りが遅くなったので近道をしていこうと考え、
宮川の対岸の山沿いにある養鶏場を抜けて帰れば近いと思った僕は、
通常の帰り道ではない橋向かいの養鶏場方面へスタコラ歩いて行きました。

緩やかな山道を抜けると養鶏場の裏口があるのですが、
そこは通常門ではないためか裏口の門は施錠されて閉まっていました。
その門の横は有刺鉄線が張りめぐらされ 行く手をさえぎっています。

いつの間にか、どんよりと曇った空になってきました。
さっきまでの青空はどこにいってしまったのでしょう。
そして日没の時間になったのか、あたりはだんだん薄暗くなっていました。

その時、手の甲に冷たいものが…
「雪だ…!!」。
それも高知ではけっして見たことのない大粒の雪です。

雪は やむ様子など一向になく、次第に激しさを増してきました。
黒い学生服も白衣に早変わり。辺りは、いつのまにか銀世界。

一瞬にして降り積もった雪のせいで道は消えていました。
どこへ引き返せばよいのか まったくわかりませんでした。
当然、足跡もありません。それでも雪は追い打ちをかけるように、どんどん降り続けます。

僕は、町からすぐそこの場所で遭難しかけているのです。
寒い!…もう震えが止まりません。ここで凍死するかも知れない!
この世に生を受け、こんな不安な気持ちになったことはありません。パニックでした。

「とりあえず引き返さないと…」
一歩足を踏み外せば斜面から下へ転げ落ちそうな場所を、慎重に恐る恐る歩きました。
歩いたというよりも 四つん這いになって
ただ地面の有る無しを確かめるように進んでいきました。

それから どれぐらいの時間が経ったのでしょうか、
真っ暗闇の中、もうダメかと思った時、ふと顔を上げたら おぼろげに光が射しました。
それは宮川の橋のたもとにある細い電柱の小さな光でした。

奇跡です。助かったのです。ここまで来たら帰ることができます。

思い返せば、洞口君のお母さんの「雪降るかも知れんね…気をつけてお帰りナ…」の言葉は、
雪国で生まれ育ったその土地の人でなければ出ることのない言葉だったのではと思います。
僕が遭難しかけていたなどとは、きっと夢にも思ってなかったことでしょう。
実際、橋のたもとから養鶏場までの距離はわずか100mしかなかったのですから…。


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Tag:自分史 飛騨 古川 野球部

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